◆ [ ラスト・シーズン 1955-1956年 ] ◆
◆ [ ウィーンフィル ] ◆
◆ [ ベルリンフィル ] ◆
◆ [ パリ音楽院管弦楽団 ] ◆
◆ [ ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団 ] ◆
◆ [ ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 ] ◆
◆ [ ワイマール国立歌劇場管弦楽団 ] ◆
◆ [ 1955年 ブダペスト、ブラチスラヴァ(Bratislava) ] ◆
◆ [ with ヤッシャ・ハイフェッツ ] ◆
◆ [ with ゲルハルト・タシュナー ] ◆
◆ [ with ゲルダ・ネッテ=タシュナー ] ◆
◆ [ with ホロヴィッツ ] ◆
◆ [ with ヴィルヘルム・ケンプ ] ◆
◆ [ ブルックナー ] ◆
◆ [ R . シュトラウス ] ◆
◆ [ ショスタコーヴィチ ] ◆
[ ウィーンフィル ]
以前掲示板でいちさんに教えて頂いた、アーベントロート指揮
ウィーンフィルのコンサート記録
http://www.konzerthaus.atから
参照 :
http://www.konzerthaus.at/wkhg/archiv3.nsf/v_search_events/E6A1861C68A776A0C1256D21004703E1?opendocument
28. Oktober 1937 19:30
Grosser Konzerthaus-Saal
Wiener Philharmoniker Orchester
Georg Kulenkampff Violine
Hermann Abendroth Dirigent
Ludwig van Beethoven
Leonoren-Ouverture Nr. 3 op. 72a (1805-1806)
Johannes Brahms
Konzert für Violine und Orchester D-Dur op. 77 (1877-1878)
Anton Bruckner
Symphonie Nr. 3 d-moll (1873-1877)
1937年10月28日19:30〜
ベートーヴェン 序曲「レオノーレ」第3番
ブラームス ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン : クーレンカンプ)
ブルックナー 交響曲第3番
伝聞なので真偽に関してはまだ定かではないのですが、アーベントロートが
現代作品を演奏しようとした際に色々行き違いが生じて、それ以降ウィーン・
フィルへは来なくなっている、そのためアーベントロートがウィーン・
フィルを振ったのは1度だけ、あるいは1度も無かった、
と2説聞いたことがあります。
1937年10月28日のこの演奏会が唯一の共演だった、と考えられます。
◇◇◇
http://www.konzerthaus.at/ で検索して出た、ウィーンでのもう1つの演奏会記録。
参照 :
http://www.konzerthaus.at/wkhg/archiv3.nsf/v_search_events/A18CB57B7FB35A92C1256D2100384B81?opendocument
Sa, 28. Oktober 1916 19:30 Groser Saal
Orchester des Wiener Konzertvereines / Abendroth
Orchester des Wiener Konzertvereines Orchester
Gisela Springer Klavier
Hermann Abendroth Dirigent
P R O G R A M M
Ludwig van Beethoven
Symphonie Nr. 1 C-Dur op. 21 (1799-1800)
Konzert für Klavier und Orchester Nr. 4 G-Dur op. 58 (1805-1806)
Symphonie Nr. 7 A-Dur op. 92 (1811-1812)
◇◇◇
[ ベルリンフィル ]
アーベントロートはベルリンフィルで
1909年02月04日から1944年12月20日までの間に67回のコンサートで指揮し、
3回演奏旅行に行っている。
(1936年05月、1943年10月はバルカン半島、1940年07月はスカンディナビア。)
80回以上共演したとのこと。
1938年5月22日〜29日にデュッセルドルフで開催された全国音楽祭(Reichsmusiktage)の時、
1938年5月28日の演奏会でアーベントロートはベルリンフィル・ベートーヴェン交響曲第9番を指揮。
(この演奏会の前にはゲッペルスの演説があったとのこと。)
1942年11月1日
ケルビーニ アナクレオン序曲
ヘッセンベルク ピアノ協奏曲(Piano Georg Kuhlmann)
ブルックナー 交響曲第4番
◇◇◇
[ パリ音楽院管弦楽団 ]
++++++++
パリ音楽院管弦楽団とは1941年12月に レーガー : モーツァルトの主題による変奏曲
を録音した記録があるそうです。
1941年12月07日にモーツァルトの曲を指揮した演奏会
1941年12月11日にはオペラ座で ベートーヴェン : フィデリオを指揮。
++++++++
以前掲示板で吉岡伊豫守爛柯さん、いちさんに教えて頂いたサイトに載っている、
パリ音楽院管弦楽団のコンサート記録の中で、アーベントロート指揮コンサート
&録音に関するデータから参照
参照 :
http://hector.ucdavis.edu/SdC/Programs/Pr115.htm
9 December 1941 Phono Odeon [Abendroth: Reger Mozart-Variations]
Two Galas, 7 Decembre 1941 and 14 Avril 1942
Palais de Chaillot
7 Decembre 1941
Hans BELTZ, piano
Variations Symphoniques Franck
Concerto ut mineur Mozart
Variations et Fugue
[i.e., Max Reger: Mozart-Variations, recorded 9 December; see DISCOGRAPHY.] -------
Direction: Hermann ABENDROTH
[Delayed broadcast: 15 December 1941.]
*****
1943年6月のアーベントロート&パリ音楽院管弦楽団・ベートーヴェン・チクルスの記録から
参照 :
http://hector.ucdavis.edu/SdC/Programs/Pr117.htm
Cycle Beethoven de la Societe des concerts en 1943
au Palais de Chaillot, sous la direction de Abendroth, parallelement
au cycle Mengelberg au Theatre des Champs-Elysees:
18 juin: ouverture Egmont+7eme Symphonie+5eme Concerto (Elly Ney)
6月18日 ベートーヴェン エグモント序曲・交響曲第7番・ピアノ協奏曲第5番(Elly Ney)
20 juin: 2eme Symphonie+4eme Concerto (Alfred Cortot)+5eme Symphonie
6月20日 ベートーヴェン 交響曲第2番・ピアノ協奏曲第4番(Alfred Cortot)・交響曲第5番
23 juin: 1ere Symphonie+Concerto pour violon (Ginette Neveu)+6eme Symphonie
6月23日 ベートーヴェン 交響曲第1番・ヴァイオリン協奏曲(Ginette Neveu)・交響曲第6番
25 juin: 4eme Symphonie + 1er Concerto (Wilhelm Kempff)+3eme Symphonie
6月25日 ベートーヴェン 交響曲第4番・ピアノ協奏曲第1番(Wilhelm Kempff)・交響曲第3番
29 juin: 8eme + 9eme Symphonie (Schenneberg, Micheau, Jouatte, Cabanel)
6月29日 ベートーヴェン 交響曲第8番・第9番(Schenneberg, Micheau, Jouatte, Cabanel)
◇◇◇
[ ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団管弦楽団 ]
1911年にアーベントロートはケルンで
Peter Kreuderという人のピアノ、ギュルツェニヒ管弦楽団でモーツアルトを指揮している。
ケルンでの最初のコンサートは1914年11月17日。オール・ベートーヴェン・プログラムで
エグモント序曲、序曲「レオノーレ」第3番、ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリンはカール・フレッシュ)、
交響曲第5番。
1916年・1918年・1919年に指揮したのは、天地創造、メサイア、四季、ヴェルディのレクイエム、
モーツァルトのレクイエム、ミサ・ソレムニス、ファウスト、
プフィッツナー「ドイツ精神について」、ブラウンフェルスの曲など。
ナチの勢力がケルンへ及ぶ3週間前、1934年1月10日にアーベントロートが指揮した演奏会では
フランスの作曲家デュカ(デュカスと表記されることもある)の「魔法使いの弟子」、
同じくフランスの作曲家ラヴェルの「ツィガーヌ」、
同じくフランスの作曲家ベルリオーズ「ローマの謝肉祭」、
ユダヤ系の作曲家であるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が
ハイフェッツのヴァイオリンで演奏されていた。
1924年10月21日に レーガー : J.S.バッハの主題による変奏曲とフーガ を
ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団で初演している。
アーベントロートがケルンで最後に指揮をしたのは1934年3月30日(聖金曜日)、
バッハのマタイ受難曲。
アーベントロートはケルン時代、各シーズンの最後に必ずバッハ「マタイ受難曲」を振っていたとのこと。
そしてギュンター・ヴァントもケルンのカペルマイスターだった1946年以降、
毎年聖週間にバッハのマタイ受難曲を指揮していたとのことです。
(参照)
1933年1月にヒトラー首相就任によりナチス政権が成立。
1934年1月、ケルン市長 Riesen は、アーベントロートがナチに全然賛同していないということ、
彼がソヴィエトに対してもケルンのユダヤ社会に対しても好意的な立場を取っていることを非難して、
アーベントロートを、ケルン市の音楽監督 ( Städtischer Generalmusikdirektor )、
ケルンコンサート協会の芸術監督兼指揮者 ( künstlerischer Leiter und Dirigent der Kölner Konzertgesellschaft )、
音楽大学の学長 ( Direktor der Staatlichen Hochschule für Musik )、
この3つの職から解任、アーベントロートは公職を追放された。
◇◇◇
[ ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 ]
1922年03月05日にアーベントロートと共演。
曲はヘンデルのヴァイオリン、チェロ、オーケストラのための協奏曲と
メンデルスゾーン・コンサートアリアop.94。
1932年01月21日ブルーノ・ワルターの代理でアーベントロートがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮。
ケルビーニ : アナクレオン序曲
クレツキ : ピアノ協奏曲
ブルックナー : 交響曲第4番(1922年01月23日にニキシュが亡くなったことの追悼)
(ブルックナー交響曲第4番に、1922年01月01日ニキシュがゲヴァントハウスで最後に振った曲、との但し書き有り。)
1934年秋、アーベントロートはカペルマイスター( Gewandhaus-Kapellmeister )となり
1934年10月18日にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団での初めてのコンサートを指揮。
曲目はバッハのブランデンブルク協奏曲第3番、ベートーヴェン交響曲第1番、
ブラームス交響曲第4番。 1945年12月までその職を務めた。
* 1934年10月25日の演奏会では Haas : ロココの主題の変奏曲、
グルック : アウリスのイフィゲニアからアリア、ヘンデル : Josuaからアリア、
ワーグナー、リスト
* 1934年11月29日の演奏会では メンデルスゾーン : ヴァイオリン協奏曲
* 1935年11月28日の演奏会ではハイドン 四季
* 1935年12月05日の演奏会ではヘンデル, シュトラウス, Gesang
* 1935年12月12日の演奏会ではモーツァルト、ベートーヴェン7番、Wolf、Goehler
* 1936年 リスト : ファウスト
* 1937年02月25日の演奏会ではベルリオーズ : Fausts Verdammung (La Damnation de Faust) ファウストの劫罰
* 1938年 ブルックナー : First Mass
* 1938年12月01日の演奏会ではヴェルディ レクイエム
* 1939年02月09日の演奏会ではJohann Nepomuk David 交響曲第2番とブラームス・ピアノ協奏曲(エドウィン・フィッシャー)
* 1939年03月02日の演奏会ではハイドン 天地創造
* 1940年 ブルックナー : テ・デウム
* 1941年02月27日の演奏会ではプフィッツナー : Von deutscher Seele ドイツ精神について (ドイツの魂について)
* 1941年06月27日の聖トーマス教会での演奏会ではバッハ : Hohe Messe ロ短調ミサ。
* 1941年11月24日の演奏会では Haas : Das Lied von der Mutter
* 1943年 ヴェルディ : レクイエム、リスト : Psalm No.13
* 1944年 ベートーヴェン : Mass op.86
1943年09月30日アーベントロートの指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスでのプログラムが
Der legendäre Geiger Gerhard Taschner : Vom ersten Bogenstrich gefangen
(Walter Gerstberger)[ISBN 389639214X ] p.64 に載っている。
バッハ : 管弦楽組曲第4番
ブラームス : ヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン ゲルハルト・タシュナー)
ベートーヴェン : 交響曲第4番
ゲヴァントハウス(織物会館)は1944年2月20日爆撃されている。しかしコンサートは
州の講堂で継続して行われた。
* 1944年01月01日の演奏会では
バッハ : Suite für Orchester(D-dur)
ハイドン : 交響曲第14番
モーツァルト : ピアノ協奏曲 Nr.453 (Piano : Branka Musulin)
シューベルト : 交響曲第3番
1945年03月30日アーベントロートはゲヴァントハウスとの最後のレコーディングを行った。
戦争後初のコンサートは1945年07月08日。以後のコンサートでは、ナチ時代には演奏出来
なかったメンデルスゾーン、マーラー、ヒンデミットの作品などが演奏された。
* 1945年07月08日10:30〜の演奏会
ベートーヴェン : エグモント序曲
チャイコフスキー : 交響曲第5番
* 1945年07月26日18:00〜の演奏会では
ベートーヴェン : レオノーレ序曲 op.138
メンデルスゾーン : ヴァイオリン協奏曲 op.64 (Vn : Kurt Stiebler)
マーラー : 交響曲第1番
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団でアーベントロートがカペルマイスターとして
最後に指揮をしたのは1945年11月29日。シューマンのマンフレッド序曲とブルックナー7番。
そして1945年12月31日にはベートーヴェンの第9を指揮、ゲヴァントハウスを指揮した
この年最後のコンサートとなる。
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を去ってからアーベントロートが
この管弦楽団を再び振ったのは、1951年に客演で一度だけ、とする資料がある。
(Tahra の TAH106/107 の解説書p.74にその際のプログラムが載っている。)
* 1951年12月13日19;30〜のコングレスハレでの演奏会。
ゲルスター : Festliche Toccata für Orchester
バッハ :2つのヴァイオリンのための協奏曲 (Vn : Kurt Stiebler , Gerhard Manko)
シューベルト : 交響曲第7番
◇◇◇
[ シュターツカペレ・ワイマール(ワイマール国立管弦楽団) ( Staatskapelle Weimar ) ]
毎年10回程の定期演奏会では1度か2度はブルックナーの曲が入っていたそうです。
1952年からは毎年聖金曜日に特別演奏会を始めていて、毎回ブルックナーの曲だったとのこと。
1952年04月11日聖金曜日はブルックナー交響曲第9番。
1956年03月30日聖金曜日はブルックナー交響曲第3番。
* 1955年02月25日19:00〜の演奏会で
ベートーヴェン :ピアノ協奏曲第4番 op.58 (Pf : Karl-Heinz Schlüter )
R.シュトラウス :家庭交響曲 Symphonia domestica op.53
◇◇◇
[ ブダペスト、ブラチスラヴァ(Bratislava) ]
アーベントロートの日記に、ハンガリーの首都ブダペスト、スロヴァキアの首都 ブラチスラヴァでの
1955年の11月17日から12月18日の間の演奏会の記録があるそうです。
ベートーヴェンの第9を9回位指揮、
ハンガリーの首都ブダペストでは、
ブダペスト歌劇場で3回フィデリオを指揮(11月25日、11月30日、12月04日)、
ブダペスト・フィルハーモニー管弦楽団で11月28日と12月05日に演奏会を、
スロヴァキアの首都 ブラチスラヴァにて、
スロヴァキア・フィルハーモニー管弦楽団で12月15日に演奏会で指揮したとのこと。
(録音は残っていないらしいです。)
◇◇◇
[ ヤッシャ・ハイフェッツ ]
ナチの勢力がケルンへ及ぶ3週間前、1934年1月10日にアーベントロートが指揮した
演奏会ではフランスの作曲家デュカ(デュカスと表記されることもある)の
「魔法使いの弟子」、同じくフランスの作曲家ラヴェルの「ツィガーヌ」、
同じくフランスの作曲家ベルリオーズ「ローマの謝肉祭」、
ユダヤ系の作曲家であるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲が
ハイフェッツのヴァイオリンで演奏されていた。
◇◇◇
[ ゲルハルト・タシュナー ]
1922年05月25日生まれ - 1976年07月21日没
タシュナーはフバイ、フーベルマンに師事、 1939年にはチェコのオケでコンマスになっており、
その頃アーベントロート教授に見出され、アーベントロート客演指揮&タシュナーのヴァイオリンで
ブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏。
その頃コンマスを探していたフルトヴェングラーに、アーベントロート教授がタシュナーを推薦、
バッハのシャコンヌを弾いてコンマス試験に合格。
1941年から1945年にかけてフルトヴェングラー率いるベルリン・フィルのコンマスを務めた。
Tahraの解説書(TAH461)によると、タシュナーは
1943年04月28日ベルリンでアーベントロート指揮、
ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を演奏。
同年09月30日アーベントロートの指揮、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスで
ブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏。
録音では、1944年12月16日ブルッフ・ヴァイオリン協奏曲第1番
アーベントロート指揮、ベルリンフィル、タシュナー(Vn)が有る。
◇◇◇
[ ゲルダ・ネッテ=タシュナー ]
1906年11月21日生まれ。
1926年11月04日フルトヴェングラー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウスで
ゲルダ・ネッテはシューマンのピアノ協奏曲を弾いてデビュー。
彼女が初めてベルリンフィルと共演したのは1935年01月20日ボルヒャルト指揮で
シューマンのピアノ協奏曲だった。
ベルリン、ローマ、ワルシャワ、パリ、ソフィア、アムステルダム、ベルゲン、
コンスタンチノープルなどの欧州各地で演奏。
(共演した指揮者はフルトヴェングラー、シェルヘン、ケンペン、
コンヴィチュニー、クリップス、シューリヒトなど。)
ゲルダ・ネッテ=タシュナー本人による話(2001年07月)がTahraの解説書(TAH342)に
記載されている。
ゲルダ・ネッテがヘルマン・アーベントロートの指揮で演奏したのは2回だそうです。
1回目はライプツィヒ・ゲヴァントハウス(1930年代)でショパンのピアノ協奏曲第2番。
2回目がライプツィヒ放送交響楽団(1955年11月15日)でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番。
(Tahra TAH342)
◇◇◇
[ ホロヴィッツ ]
http://w1.854.telia.com/~u85420275/concertography.htm参照
The Vladimir Horowitz Website - Concertography から
October 11, 1927 : Gürzenich-Großer Saal, Köln, Germany
Tchaikovsky: Piano Concerto No.1 in B-flat minor, Op.23
Liszt: Piano Concerto No.2 in A major
Hermann Abendroth/Gürzenich Orchester Köln
October 8, 1929 : Gürzenich-Großer Saal, Köln, Germany
Rachmaninoff: Piano Concerto No.3 in D minor, Op.30
Hermann Abendroth/Gürzenich Orchester Köln
November 4, 1930 : Gürzenich-Großer Saal, Köln, Germany
Tchaikovsky: Piano Concerto No.1 in B-flat minor, Op.23
Hermann Abendroth/Gürzenich Orchester Köln
ケルン ギュルツェニヒ大ホール
ギュルツェニヒ管弦楽団
アーベントロート(指揮)
ホロヴィッツ(ピアノ)
1927年10月11日 チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番 / リスト ピアノ協奏曲第2番
1929年10月08日 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第3番
1930年11月04日 チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番
◇◇◇
[ ヴィルヘルム・ケンプ ]
1941年プフィッツナーのピアノ協奏曲をアーベントロート指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウスで、
1943年、「 Grand Festival Beethoven 」においてアーベントロート指揮で演奏。
http://www.wilhelm-kempff.de/biographie.htm
◇◇◇
[ ブルックナー ]
アーベントロートはミュンヘンで1903年指揮者デビューし、1905年からリューベックで
プロの指揮者としてスタートしているが、このリューベックで最初のシーズンとなる
1905年〜1906年のシーズンで、4回目のシンフォニー・コンサートになる
1905年12月9日、ブルックナーの交響曲第7番 を、取り上げている。 以後アーベントロートは
リューベックで、
1906年11月10日にブルックナーの交響曲第9番、
1907年11月30日にブルックナーの交響曲第4番、
1908年11月28日にブルックナーの交響曲第5番、
1911年から1914年エッセン市の音楽監督であった時期、このエッセンでは、
1913年2月23日にブルックナーの交響曲第8番、
1913年11月7日にブルックナーの交響曲第3番 を指揮している。
ケルン時代(1915年〜1934年)には
ブルックナーの交響曲を取り上げた機会は22回(そのうちブルックナーの交響曲第8番は5回取り上げている)、
ライプツィヒ時代(1934年〜1945年)には
23回取り上げている。(テ・デウム、詩篇第150篇 [ 150 Psalm ]、ミサ曲第1番を含む。)
アムステルダム・コンセルトヘボウに客演した際、
ブルックナーの交響曲第4番を1回、第7番を2回、第8番を2回指揮しているそうです。
***( 国際ブルックナー協会 「 Studien & Berichte, Mitteilungblatte 44, Juni 1995 」の
Nico P. H. Steffen 氏によるアムステルダム・コンセルトヘボウの指揮者別、演奏日、場所、使用版の
演奏会記録を吉岡伊豫守爛柯さんが確認して下さって、教えて頂きました。) ***
アーベントロートはブルックナーの交響曲第8番を演奏する前には、モーツァルトを演奏することを好んだそうです。
◇◇◇
[ R . シュトラウス ]
R . シュトラウス( 11 June 1864 〜 8 September 1949 )の曲についてアーベントロート指揮の記録。
@リューベック
1906年02月10日 ドン・ファン ( このシーズンの 6回目のシンフォニー・コンサートで)
1907年03月09日 死と変容 ( このシーズンの 8回目のシンフォニー・コンサートで)
1907年11月30日 ティル・オイレンシュピーゲルの愉快な悪戯 ( このシーズンの 3回目のシンフォニー・コンサートで)
@ケルン (ギュルツェニヒ管弦楽団管弦楽団)
1915年11月23日 アルプス交響曲
1918年12月03日 家庭交響曲
1922年02月14日 ドン・キホーテ
1924年12月09日 祝典前奏曲(Festliches Präeludium) 、ピアノと管弦楽の為のブルレスケ(Burleske)、アルプス交響曲
@ブラウンシュヴァイク Braunschweig
1934年12月10日 町人貴族 、ピアノと管弦楽のためのブルレスケ(Burleske)、家庭交響曲
@ライプツィヒ (ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団)
1936年12月05日 町人貴族
1941年04月13日 イタリアから (Aus Italien)
@ワイマール (シュターツカペレ・ワイマール)
1949年11月11日 死と変容、ドン・ファン、英雄の生涯
1955年02月25日 家庭交響曲
* アーベントロート指揮 : オール・R . シュトラウスのプログラムでのコンサート
R . シュトラウスの60歳記念年のコンサートを
1924年12月09日のギュルツェニヒ管弦楽団管弦楽団で、
祝典前奏曲 、ピアノと管弦楽の為のブルレスケ(Burleske)、アルプス交響曲
R . シュトラウスの70歳記念年のコンサートを
1934年12月10日ブラウンシュヴァイクで
町人貴族 、ピアノと管弦楽のためのブルレスケ(Burleske)、家庭交響曲
R . シュトラウス死去後には1949年11月11日ワイマールで 死と変容、ドン・ファン、英雄の生涯
◇◇◇
[ ショスタコーヴィチ ]
1929年、ショスタコーヴィチ交響曲第1番の初演を指揮。
Erstaufführung という記述でしたので、初演、と訳しました。
ショスタコーヴィチ交響曲第1番の作曲年は1925年、世界初演が1926年(ニコライ・マルコ指揮)
とのことですので、1929年アーベントロート指揮は
ドイツもしくはその地での初演のことを指すと思われます。
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