(1) 「マイニンゲンの伝統」について 2003.11 |
(2) 「 Performing Brahms 」Chapter10を読んで 2004.01 |
(3) 指揮者と「ブラームス・シュタインバッハの伝統」 2006.04 |
■ アーベントロートと Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) ■ 2003.01 境山 |
アーベントロートとブラームスに関して調べるうちにたどり着いたキーワードが Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」 です。 私なりに調べたことなどを、まとめて書いてみたいと思います。 以下の話へと続く前に、まずお話させて頂きたいのですが、私個人は音楽に関する専門的知識は乏しいので、 楽譜の解釈等に関する話などは専門家の意見や著作物を参照しています。 自分の目についたことだけを材料にして考えると誤解・曲解したりする危険性もあると考えましたので、 知人を通じて音楽をやっておられる方にも伺って、 「 アーベントロートのブラームス演奏 ←←← Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) 」 ということに関し色々と確認をさせて頂いた上で書いています。 まず、この Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは何かというと、 1914〜1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855〜1916)に 師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだものです。 ( Brahms in der Meininger Tradition ) ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲 の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると 「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、 相互協力の関係にあった」 のだそうです。 1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を 引継いだのがシュタインバッハなのですが、マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、 その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラです。 シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していた ブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していました。 シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない 部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。 ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、 それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。 (シュタインバッハからトスカニーニは楽譜の解釈を教わっていたことがあるそうなのですが) シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた経験のあるトスカニーニは ニューヨークのある社交の場で、その演奏を聴いた時のことを 「それは素晴らしかった。音楽が難なくそう進んでいったのだ」 と語った、という話が伝わっているのだそうです。 ヴァントは、正しいテンポとは何か、という問いに対して 「・・ブラームスの交響曲や、ムソルグスキー/ラヴェルの『展覧会の絵』のような 管弦楽作品で大事なのは、むしろ、演奏のテンポが全体として納得できるものであること、 つまり『正しい』と感じられることなのである。」 ということを語っており、その際にこの、シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた トスカニーニの話に触れています。 「ギュンター・ヴァント」 ヴォルフガンフ・ザイフェルト( Wolfgang Seifert )著、根岸一美訳 (音楽之友社) P.291-P.297 参照 アメリカのコロンビア大学音楽科の教授、ウォルター・フリッシュの著書 「ブラームス4つの交響曲」 ウォルター・フリッシュ ( Walter Frisch ) 著 (天崎浩二 訳) (音楽之友社) この本で、歴史的録音の中では、ヘルマン・アーベントロートのブラームス解釈が シュタインバッハと色々な点で近い、とウォルター・フリッシュは述べています。 (フリッシュがこの本でアーベントロートの録音に関し触れていたのは、 ロンドン交響楽団とのブラームス交響曲第1番(1928年)と ブラームス交響曲第4番(1927年)の2つ。) また、ベルナルド・D・シェルマン( Bernard D. Sherman ) は、フリッシュの研究も参照した上で文章を書いており、 アーベントロートの録音には大変関心を持っているようで、(Tahra のTAH 141-142 あるいはTAH 490-491 の) アーベントロート指揮ブラームス交響曲第1番 (1956年1月16日)(バイエルン国立管弦楽団) も聴いている人です。 http://homepages.kdsi.net/~sherman/ シェルマン自身、自分のHPでも書いていますが、 「シュタインバッハの楽譜への書き込み」をノリントン、マッケラスも参考にして Meiningen Tradition のブラームス演奏を試みているけれども、例えば マッケラスの演奏はシュタインバッハの書き込みとは異なる部分もある、等述べており、 シェルマンは、シュタインバッハのブラームス演奏については Meiningen Tradition に直接の 接点が有ったアーベントロートの演奏を大変重視しています。 **「 Performing Brahms 」** この本が紹介されているページを見つけ、 Contents-Introduction で In search of Brahms’s First Symphony: Steinbach, the Meiningen tradition and the recordings of Hermann Abendroth Walter Frisch というのを見てから大変読んでみたいと昨年からずっと思っていたのですが、 やっと今年2003年10月出版になりました。 http://books.cambridge.org/0521652731.htm 2002年秋に見た時には2003年1月出版予定だったのが、3月→4月→5月→6月→7月→8月→9月→10月、と 出版予定が遅れた、という・・・。 (私自身は以前丸善へ注文してたので、2003年10月29日にこの本入手しました。 自分は楽器演奏経験の無いリスナーなもので、分からない点を人に伺って教わりながらに なりますので、読んで知ったことをサイトへ反映させるまでには大変時間がかかります。 すみません・・・・・。) 内容詳細はコチラ。 http://homepages.kdsi.net/~sherman/performingbrahms.htm なお、本の入手はしたいがお急ぎではないという方には、コチラ。 http://www.amazon.co.jp/ 音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいのですが、 マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を継いで ブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そして ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートから ヴァント、サヴァリッシュへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」 と呼ばれるものだとのことです。 なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていないらしいです。 「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」 と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。 (シュタインバッハ先生は大変厳しい先生だったようで、教えて貰いにいっても結局逃げ出す 指揮者もいたそうで、その中で、アーベントロートはシュタインバッハからケルンの ギュルツェニヒ管弦楽団を引き継いでますので、どういう師弟関係だったのでしょうか・・・。) ただ、伺った話によると アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) とイコールということでは無い様です。 アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えて テンポが変わることがある、ということなんですが、しかしそれでも結果として 「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのことです。 【参照】 ■マイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra ) ***1880年、マンハイムの君侯ゲオルグはハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)を、 「好きなだけ練習を行って良い、楽員の解雇権限をビューローに与える」、 という条件でマンハイム劇場における楽団・マイニンゲン宮廷楽団 ( the Meiningen Court Orchestra )へ指揮者として招く。 このマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra ) は48人での構成で、ビューローが納得するまでとことん練習を積み重ね、演奏会では暗譜で演奏した。 レパートリーの中心はベートーヴェン、当時の習慣で楽譜は部分的に改訂されたものが使用された。 全ヨーロッパを演奏旅行した最初の楽団であり、その緻密なアンサンブルにより高く評価を受けた。 1881年、ビューローはブラームスにこのオーケストラを作品発表するオーケストラとして 提供し、このオーケストラを高く評価したブラームス自身も指揮する機会を持った。 1885年、ビューローとブラームスは演奏旅行の際に仲違いし、個人的な関係は以後疎遠になるが、 しかしそれでもビューローはブラームス作品を評価しており、生涯に渡って取り上げ指揮している。 1886年、ビューローからこのマイニンゲン宮廷楽団をシュタインバッハ (1881年から既にマイニンゲン宮廷楽団を指揮していたようです) が引継ぎ、1903年まで指揮した。 シュタインバッハはブラームスの指揮を手本にして演奏、ブラームス自身も シュタインバッハのブラームス演奏を評価。 (なお、このマイニンゲン宮廷楽団でR.シュトラウスが1884年に指揮者デビュー、 1885年この楽団の副指揮者になり、1886年マイニンゲンを去っている 。) *** ■ハンス・フォン・ビューローとハンス・リヒターのブラームス演奏 ***ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)もハンス・リヒター(1843-1916)は、両者共に ブラームスの交響曲を積極的に取り上げており、ブラームスも彼らの演奏を聴いています。 (ブラームスの交響曲第2番・第3番の世界初演をウィーンで行ったのはリヒターでしたが) リヒターによるブラームスの交響曲の演奏をブラームス自身は好まなかったそうです。 ブラームス自身はテンポ・リズム・フレージングが柔軟なことを好み、自分が指揮する際にも その様に演奏したそうなんですが、そのブラームスでも、ビューローはかなり自由に 「やり過ぎている」ために頭を悩ませていたそうで、一方ビューローは、ブラームスからは 好きに演奏していいと言われていた、と話していたとか。2人の間に「どこまで自由にやって OKか」ということに関してずれがあったようです。 しかしそれでも、作曲家自身はリヒターよりはビューローの演奏をむしろ好んでいたとのこと。 *** ■フリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855〜1916) ***1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を 引継ぎ、1903年まで指揮した。 なお、シュタインバッハは1903年〜1914年の間はケルンのギュルツェニヒ管弦楽団で指揮しているが、 この時期にアーベントロートはシュタインバッハと直接の接点があったようです。 (アーベントロートはシュタインバッハの後を引き継いで 1914年から1934年の間ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団を指揮。 なお1946年から1974年までヴァントはケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のカペルマイスターを務めている。) *** ■アーベントロート指揮ブラームス交響曲第1番 (バイエルン国立管弦楽団)1956年1月16日 ***他と演奏スタイルが大変異なる、ということで、 アーベントロートについて触れられることの多いブラームス交響曲第1番の録音、 アーベントロート指揮「 ブラームス 交響曲第1番 」 (1956年1月16日)(バイエルン国立管弦楽団) 以前ディスク・ルフランで発売され、TAHRAからはTAH141/142で出ていましたが、 昨年2002年末にTAH 490/1という番号で再プレスされています。 (なお、CD-RではRE DISCOVER RED 34で入手可能。) ***
(初稿UP)2003.01 |