■ アーベントロートと ブルックナー ■


ブルックナーの交響曲にアーベントロートが取り組んだのは、大変早い時期だった。

(アーベントロートが指揮法を教わったフェリックス・モットルは、ウィーン音楽院でブルックナーに 音楽理論を学んでいる。ブルックナーがドイツでもまだあまり理解されていなかった時期から すすんでモットルはブルックナーの作品を指揮していたそうです。)

アーベントロートはミュンヘンで1903年指揮者デビューし、1905年からリューベックで プロの指揮者としてスタートしているが、このリューベックで最初のシーズンとなる 1905年〜1906年のシーズンで、4回目のシンフォニー・コンサートになる
1905年12月9日、ブルックナーの交響曲第7番
を、取り上げている。
以後アーベントロートは リューベックで、
1906年11月10日にブルックナーの交響曲第9番、
1907年11月30日にブルックナーの交響曲第4番、
1908年11月28日にブルックナーの交響曲第5番、
1911年から1914年エッセン市の音楽監督であった時期、このエッセンでは、
1913年2月23日にブルックナーの交響曲第8番、
1913年11月7日にブルックナーの交響曲第3番
を指揮している。

ケルン時代(1914年〜1934年)にギュルツェニヒ管弦楽団では ブルックナーの交響曲を取り上げた機会は22回 (そのうちブルックナーの交響曲第8番は5回取り上げている)、 ライプツィヒ時代(1934年〜1945年)にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団では 23回取り上げている。(テ・デウム、詩篇第150篇 [ 150 Psalm ]、ミサ曲第1番を含む。)


2006.05追記:ヴァントのDVD 

「 Günter Wand - MY LIFE , MY MUSIC 」
BMG 82876-63888-9


を見ましたらこの中で、ヴァントが62歳の時、 WDR(西部ドイツ放送)でシンフォニー・オペラ部門の部長をしていたラング博士から、 WDRのケルン放送響とブルックナー交響曲第5番を録音しないか、という依頼の電話を受けた際の エピソードの後に、

(日本語の字幕から引用):
(ヴァント)
>ギュルツェニヒ(ケルン)には未使用の楽譜がありました。原典版の楽譜ですよ。 あそこでもずっとシャルク版が使われていたのです。あの版はとんでもない犯罪ですよ! はっきり申し上げますがね。
(聞き手)
>原典版というのはハース版のことですね。
(ヴァント)
>そうですハース版のことです。それが全く使われていない。 アーベントロートが指揮したときもシャルク版でした。もう誰もがそうしたんですよ。 クナッパーツブッシュなどは一生涯ずっとシャルク版だった。 原典版はとっくに知られていたのにですよ。・・・


という話が出ていましたので、

“アーベントロートがケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団でブルックナー5番を 指揮した時、シャルク版だった”

と考えていいかと思います。

(なおアーベントロートの既出録音のCDの中で、 1949年5月27日ライプツィヒ放送交響楽団とのブルックナー5番の録音、これはハース版らしいです。)
http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1498755




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アムステルダム・コンセルトヘボウに客演した際、 ブルックナーの交響曲第4番を1回、第7番を2回、第8番を2回指揮しているそうです。

***( 国際ブルックナー協会 「 Studien & Berichte, Mitteilungblatte 44, Juni 1995 」の Nico P. H. Steffen 氏によるアムステルダム・コンセルトヘボウの指揮者別、演奏日、場所、使用版の 演奏会記録を吉岡伊豫守爛柯さんが確認して下さって、教えて頂きました。) ***


***(その後、アムステルダム・コンセルトヘボウでブルックナー第8番を2回指揮したのは 1920年だった、という記述をこのページで見つけました。
http://www.classicalcdreview.com/abgs8.htm


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アーベントロートはブルックナーの交響曲第8番を演奏する前には、モーツァルトを演奏することを好んだそうです。


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+++ブルックナー(1824〜1896)の交響曲に関するメモ+++

1884年交響曲第7番はアルトゥール・ニキシュ指揮・ライプツィヒゲヴァントハウスで初演された。
交響曲第5番は1887年4月20日に2台ピアノ用に編曲されたものがウィーンでブルックナーの弟子ヨーゼフ・シャルクにより初演され、 1894年ブルックナーの弟子でヨーゼフ・シャルクの弟フランツ・シャルクがシャルク稿オーケストラ版をグラーツ市立劇場で初演。
(交響曲第5番の原典版は1935年ローベルト・ハースにより発行され、同年10月20日ミュンヘンでジークムント・フォン・ハウゼッガー 指揮により原典版が初演された。)
1892年12月18日にウィーンPOの定期演奏会で交響曲第8番はハンス・リヒターの指揮で初演。
ブルックナーの死後の、1903年2月11日に交響曲第9番がウィーンでフェルディナント・レーヴェ(1865〜1925)が初演。
1919年ライプツィヒでアルトゥール・ニキシュがブルックナーの交響曲のチクルスを初めて指揮。





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ベルリン放送交響楽団で 1956年02月16日ブルックナー:交響曲第7番を指揮しているが、 1956年夏シーズンの定期演奏会をあと1回残して1956年05月29日に亡くなった、とのこと。 この年秋の新シーズンの最初にアーベントロート追悼の演奏会が行われ、
ブラームス:ドイツ・レクイエム
ブルックナー:交響曲第6番からアダージョ
チャイコフスキー:悲愴
というプログラムだったとのこと。
 





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