■ 枢密顧問官 -- Staatsrat ■

2003.12



■ 枢密顧問官 ( Staatsrat )

チューリンゲン州は1946年、アーベントロートにチューリンゲン州枢密顧問官 " Staatsrat " の 称号を与えている。


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キーワード検索してみたら、フルトヴェングラーが戦前プロイセン州枢密顧問官に任命されたという記述や、また ゲーテはワイマール宮廷に入ってまもなく枢密顧問官になった、という記述を見付けました。
また、こちらのサイトで

--->> ダンネマン大自然科学史  


フリードリヒ・ダンネマンが序言で

>枢密顧問官・教授・博士エー・ヴィ一デマン、教授・博士エー・オー・フォン・リップマン、 教授・博士ヴュールシュットにはとくにお礼の言葉を述べたい

と書いている、とあります。

教授・博士である人物も枢密顧問官の称号を持っている・・・・・??

枢密顧問官というのはどういう役職なのか、分からなくなってしまって、 人づてに詳しい方に伺って、教えて頂いたことをまとめてみました。


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枢密顧問官は、簡単に言ってしまうと日本では戦前の貴族院みたいなものだそうです。

「役人・財界・学界、という職域団体からの代表者」及び「貴族代表」及び「軍代表」

が、枢密顧問官になるらしいです。


(フルトヴェングラーが戦前プロイセン州枢密顧問官に任命されたのは、音楽という職域団体の 長として選出された、というのもあるのかもしれません。)






(この枢密顧問官というのは、例えば都市の枢密顧問官の場合、 市議と市長の間位の役職と伺ったことがあります。 枢密顧問官は名誉職で、市議会の議決のチェックをしたり、市長の仕事をチェックする 役職で、ただ、強い影響力までは無いそうです。 伺った話の中で、推測としてですが、当時ナチとの関係を問われ公職追放になった名士の多くが 1945年〜1946年にかけてこういう職務から離れていったので、アーベントロートが1946年、 チューリンゲン州枢密顧問官 " Staatsrat "になったのは他に枢密顧問官のなり手がいなくなった、 というのもあるのかもしれないです。)

戦後、アーベントロートは様々な委員会の役員を務めていたそうです。





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ベルリンの批評家が「市長のようである」とアーベントロートに関し書いたことがあるようなんですが、 これはどちらかと言うと、行政や政治の分野でも能力の有った アーベントロートはまるで市長の様で、音楽家らしくない、という感想だったようです。







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