「第三帝国と音楽家たち―歪められた音楽」
マイケル・H. ケイター ( Michael H. Kater )著、明石政紀訳
(アルファベータ) 2003年出版( ISBN 4871984664 )
この本の人名索引には「ヘルマン・アーベントロート」が見当たらないので、それで、
読むのをつい後回しにしてきてたのですが、この前拾い読みしていたら興味深い話が沢山
載ってました。もっと早く読めば良かった・・・。
私自身は初めて知る話なども多かったです。
ヘルマン・シェルヘンがドイツを離れて活動していた時期のことに関しての辺りで、
(ヘルマン・アーベントロートの名前やエピソードは出ていないのだけれど)
大変気になった話がありました。
以下はこの本のp.154から引用:
>・・・1941年頃、シェルヒェンと、ゲッペルスのメッセンジャー役を務めていた
フルトヴェングラーとの間で接触があり、フルトヴェングラーは、
シェルヒェンがドイツに戻ってきてくれれば、過去のことは水に流して、
それ相応の地位を約束するという申し出を行っていた、話題にのぼっていたのは、
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者の地位である。
シェルヒェンは、この申し出を真剣に考えた形跡があるのだが、
どうして実現しなかったのかは、ヴィンタートゥーアの文書保管所の
担当者が記録資料を見せてくれようとしなかったため、不明のままだ。
>シェルヒェンと、ゲッペルスのメッセンジャー役を務めていたフルトヴェングラー
これも初耳だったのですが、アーベントロートに関心のある1人として最も気になったのは
>話題にのぼっていたのは、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者の地位
ここです。
1941年頃にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団でカペルマイスターを務めていたのは
間違いなく、ヘルマン・アーベントロート教授なのですが
するとこの、ヘルマン・シェルヘンへの勧誘話というのは、
ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団で
シェルヘンはアーベントロートと一緒に
なのか、それとも
アーベントロートを辞めさせて代わりにシェルヘンを
なのか。
その辺りは全く不明です。
◇◇◇
著者のケイターは
「ヴィンタートゥーアの文書保管所の担当者が記録資料を見せてくれようとしなかった」
と言ってますが、これも何故そうであったかは不明。
1933〜1945年のドイツでの状況というのは、憶測や推測で語ってはいけない部分がありますので、
私もこの件に関しては、これ以上勝手に想像したりしないようにします。
|