
1923年3月30日(*この日は聖金曜日)、ケルン・ギュルツェニヒ第12回演奏会 プログラムより。
当時のアーベントロートはギュルツェニヒのカペルマイスター。
曲はバッハのマタイ受難曲。左は表紙、右は表紙をめくった内側。中に写真などは無く歌詞が
書かれているそうです。
(*ヴォルフガンフ・ザイフェルト( Wolfgang Seifert )著、根岸一美訳「ギュンター・ヴァント」
(音楽之友社)によると、1944年までは、ギュルツェニヒ・カペルマイスターはプログラムを
主催者としてのケルン・コンサート協会の方針に合わせなければならなった様です。
戦後、ヴァントがギュルツェニヒのカペルマイスターになった際には
この協会からの独立を主張、主催者はケルン市になる。)
◇◇◇

1938年2月25日ベルリン国立歌劇場でのベートーヴェン・フィデリオのプログラム。
当時のアーベントロートはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスター。
(後に Clemens Krauss 夫人となった Viorica Ursuleac の名前も載っているとのこと。)
◇◇◇

そのフィデリオのプログラムにはさまれていた新聞の切り抜きとのこと。